18切符旅今昔比較 東海道方面編①(東京〜姫路)
今回は、空想鉄道旅を実際にやってみようと思います!
(空想鉄道旅についてはhttps://hihumin123-twal.hatenablog.jp/entry/2019/06/09/182938を参照)
鉄道旅の代表格といえば、18切符の旅なので、「東京からひたすら西に行く鈍行列車に乗り続けた場合、1日でどこまでいけるのか?」
というテーマで1987年の場合と32年経った現在の場合について比較してみようと思います!
1. 現在の場合
現在のことは、乗り換え案内を使えば3秒でわかるので、乗り換え案内で調べました。
現在の今回のテーマの答えは、東京から約1100km離れた福岡県北九州市の小倉駅です!
東京駅を4:55に出発、小倉には翌00:05に到着する約19時間の道のりです。
2. 1987年の場合
まずは、東海道本線の始発列車に乗ります。
品川4:35→沼津6:38
東海道本線の始発列車は東京駅発ではなく、品川発なんですね。品川の少し東京寄りに車両基地があるせいでしょうか。
この列車はグリーン車を連結しているので、沼津までの2時間は快適に過ごせそうですね。
品川から列車に揺られること約2時間、静岡県の沼津に到着です。
(品川〜沼津)
沼津6:44→浜松9:04
ここから浜松まで2時間半ひたすら乗りっぱなしです。途中長く停まる駅はないので、朝ご飯は品川出発前に買う必要がありそうです。
今では静岡はロングシートトイレなしの難所と呼ばれていますが、この時代はまだ115系電車が使われていたはずなので、ボックスシートもトイレもある快適な旅ができます。
東海道本線の静岡区間は、富士山や駿河湾、大井川などの景色の良い区間が続くので、車窓を眺めているとあっという間に浜松に着きます。
(沼津〜浜松)
浜松9:06→米原12:26
浜松で2分の乗り換え時間で東海道本線普通列車米原行きに乗り換えます。
なんと、この列車には3時間20分も乗車します。しかも途中長く停まる駅はないので、ひたすら乗りっぱなしです。
今回は東京からひたすら西に行く鈍行に乗り続けてどこまで行けるか?というテーマなので、名古屋で途中下車したりせず、ひたすら乗り続けます。
正直、豊橋〜名古屋の東海道本線の車窓はつまらない(異論は認める)ので、寝るのが無難です。
名古屋を出ると、清洲会議の清洲や、天下分け目の戦いが行われた関ヶ原など、歴史の教科書で見たことがある地名が出てくるようになるので、昔の天下人達に思いを馳せるなどしていれば退屈せずに過ごせます。
(浜松〜米原)
米原12:28→京都13:38
もう東京から9時間近く休みなく列車に乗り続けていることになるので、常人なら発狂している頃でしょう。
この列車は西明石行きなので、京都で降りなくてもここ米原から150kmほど離れた兵庫県明石市まで乗り換えなしで行くことができます。
しかし、京都で新快速に乗り換えた方が早く西に進めるため、京都で乗り換えます。
現在の東海道本線のこの区間は「琵琶湖線」と呼ばれています。しかし、琵琶湖が見えるのは石山駅付近の一瞬だけで、あとは大津までひたすら田園風景が続きます(笑)
大津を出ると徐々に京都の街並みが見えてきます。
(米原〜京都)
京都13:45→姫路15:25
京都で新快速に乗り換えて一気に兵庫県の姫路まで行きます。
ここで、新快速の今昔について書こうと思います。
新快速も今は米原まで来ますが、国鉄時代は米原の一個京都寄りの彦根発着でした。これは、当時の鉄道管理局の管轄に由来しています。
彦根から先、京都方面は大阪鉄道管理局が管轄していたのに対して、米原駅は名古屋鉄道管理局の管轄でした。新快速は大阪鉄道管理局が独自に運行している列車だったので、大阪鉄道管理局の管轄内である彦根までしか入線しなかったのです。
2. 昔の新快速は京阪間ノンストップだった
現在の新快速は京都〜大阪間で、高槻、新大阪に停車します。しかし、1987年の時刻表を見ると、新快速は京都を出るとなんと次は新大阪まで停まらないことがわかります。京阪間は昔から並行する私鉄とのバトルが激しいため、所要時間を1分でも多く削るために高槻を通過していたと考えられます。
現在では、車両の性能が向上したため、途中高槻に停車しても当時より1分早く京阪間を走り抜けることができます。科学の力ってす(ry
途中の神戸駅を出ると品川からずっと続いてきた東海道本線に別れを告げ、山陽本線に入ります。神戸から明石付近までは海沿いを走るので、オーシャンビューを楽しむことができます。
明石を出ると20分ほどで終点姫路に到着致します。
(京都〜姫路)
(後編に続く)