手書き乗車券の旅2017〜サンライズ編(東京→岡山)〜
・2日目→3日目(東京→岡山)
東京からは寝台特急サンライズ出雲91号に乗り、一路岡山へ向かいました。
今回乗ったサンライズ出雲91号は臨時列車で、通常のサンライズエクスプレスよりのんびりと走るのが特徴です。
通常のサンライズエクスプレスであれば22時ちょうどに東京駅を出て、翌朝6時半に岡山、10時頃に終点出雲市に到着するのですが、このサンライズ出雲91号は、東京を22:21に出て、岡山には翌朝9時頃、終点出雲市には14時頃着というのんびりさ加減です。出雲市に着くのは午後なので、ちょっと遅いかもしれませんが、岡山であれば朝のちょうど良い時間に着くので、岡山から新幹線に乗り換えて広島や九州方面に行く際には便利かもしれません。
今回はサンライズ出雲91号のB寝台シングルに乗りました。
サンライズエクスプレスには、
・ノビノビ座席(雑魚寝)
・B寝台ソロ(ちょい狭めの個室寝台)
・B寝台シングル(標準的な寝台)
・B寝台サンライズツイン(2人用)
・A寝台シングル(ホテルの部屋みたいな感じ)
の設備があります。それぞれ、料金が異なっており、ノビノビ座席は特急料金のみの格安価格、B寝台ソロは特急料金+¥6000ちょいの寝台料金、ソロに+¥1000するとシングルに、1番高級なA寝台シングルはB寝台ソロの約2倍の¥13000の寝台料金がかかります。
個人的には、B寝台シングルでも一人で過ごす分には困らないので、十分だと思います。
サンライズエクスプレスにはシャワーがあり、車内でシャワーを浴びることもできますが、シャワーを浴びるために必要なシャワーカードは東京駅発車時点で売り切れてしまうことが多いので、乗ったらすぐに買いましょう。
今回は私の前に並んでたデ(ry体格の良い方がシャワーカードを1人で複数枚購入したため、私の前で売り切れてしまいました…。
シャワーカードを1人で複数購入するのはモラル的にどうかと思うので、絶対やめましょう。
サンライズエクスプレスでの楽しみといえば、なんと言っても飲酒です!流れ行く車窓を見ながら飲む酒は本当に美味いです。マジで。
乗り合わせたTwitterのフォロワーの方と喋ったり、飲酒したりしてるうちに列車は静岡県に入りました。
写真はありませんが、興津付近で並走する東名高速を走るトラックとのレースは中々面白いので、ぜひ見てみてください。
…翌朝は大阪駅で目が覚めました。
定期の下りサンライズは大阪を通過してしまうため、朝の大阪駅にサンライズが停まっているのは割と貴重な光景です。
大阪を過ぎるてしばらくすると、車窓に明石海峡大橋が見えます。個人的にはサンライズの車窓の中では5本の指に入る美しさだと思うので、朝は早いですが、一見の価値はあると思います!
この後は景色がいい場所があるわけでもないので、二度寝をします笑
今回は岡山で下車するので、姫路を過ぎたら身支度をのんびりと始めます。
身支度をのんびりとしている間に岡山到着放送が流れ、岡山に到着しました!
ここからは新幹線に乗り換え、広島方面へと向かいました。(続く)
手書き乗車券の旅2017〜ひたち野うしく→東京〜
2017年の夏、私はとても長い旅をしました。その際に用いたのが、次のような切符です。
(使った切符)
見ればわかるように、この切符は通常の切符と異なり、手書きで作られています。
JRの乗車券は、一筆書きでなぞれるような経路であれば、とても複雑な経路ものであっても買うことができます。複雑すぎると機械で切符を作れないため、このような手書きの乗車券が出てきます。
・1日目(ひたち野うしく→長岡)
常磐線で新松戸、武蔵野線で南浦和、京浜東北線で大宮、宇都宮線で小山と乗り換えて小山で両毛線に乗り換えます。
両毛線では引退寸前だった107系電車に乗ります。107系は昔の急行列車の台車を流用して作られたリサイクル電車です。急行列車なのは台車だけで、中はただの通勤列車なので、ぶっちゃけ普通の列車と変わりません笑
栃木県から群馬県に入ってすぐの桐生で途中下車。
お昼時だったので、土砂降りの雨の中歩いて桐生名物・ソースかつ丼を食べに「志多美屋」さんへ。雨の中1時間半並んで食べるソースかつ丼は美味しかったです。
ソースかつ丼を食べた後は、両毛線で新前橋、乗り換えて上越線で水上、乗り換えて長岡へ向かい長岡で1日目を終えました。
・2日目(長岡→東京)
本日の目的地は東京なのですが、まっすぐ東京へは行かず、長野を経由していきます。
しらゆき号に使われているE653系は昔、常磐線特急で使われていたため、常磐線に縁がある私は懐かしさを感じました。
上越妙高からは北陸新幹線はくたかに乗り換えて長野県・佐久市の佐久平を目指します。
新幹線は速いもので、あっという間に佐久平に着きました。佐久平のある佐久市は浅間山の裾野にある高原の町です。乗り換え列車までは時間があったので、高原の空気や風景を楽しんで時間を潰しました。
この野辺山駅は日本で一番標高が高い場所にある駅です。日本一標高が高い駅なだけではなく、野辺山はリゾート地でもあるため、鉄道に興味がない方でも楽しめると思います。
私は鉄道マニアなので、 天気はあいにくの雨ですが、途中野辺山にある電波望遠鏡を眺めながら野辺山駅から歩いてJR最高地点を目指しました!
野辺山駅から2kmくらい歩くと、JR最高地点に着きます。
JR最高地点は鉄道マニアのための場所かと思いきや、意外と家族連れやカップルなど、一般の方がたくさんいました。
近くにあった喫茶店「最高地点」でソフトクリームを食べて休憩しました。
一休みしたら再び2km歩いて野辺山駅へ戻り、小海線で山梨県の小淵沢へ抜け、中央本線に乗り換えて甲府へ向かいました。
甲府は甲斐の虎として知られる武田信玄所縁の地です。駅前には武田信玄公の銅像があります。
甲府駅の前には甲府城跡があります。甲府城は武田信玄が築城したのではなく、武田氏が滅亡した後に豊臣秀吉の命で築城され、明治に入るまで使われたようです。
しかし、明治期に入ると、前世代の異物である城を壊すという風潮が全国的に見られるようになり、甲府城も例に漏れず壊されてしまいました。現在はその跡しか残っていませんが、天守跡から甲府市街を一望でき、良い観光スポットになっています。
甲府城を見た後は、甲州ワインを買い、中央本線の特急かいじに残って東京へ向かいました。
次回は東京から乗ったサンライズエクスプレスについて書こうと思います。
全車指定席のはやぶさに自由席特急券で乗る話
不正乗車の方法を書いてるかのようなタイトルですが、不正乗車の方法は書いてません。ご安心ください。
この列車は速くて便利な一方、全車指定席ではやぶさ料金と呼ばれる割増運賃が加算された指定席券を買わないと乗ることができません。
しかし、例外があり、指定席券を買わなくても乗ることができてしまいます。
例外パターン① 盛岡〜新函館北斗の間のみ乗車する場合
東北北海道新幹線の盛岡から新函館北斗までは全車指定席のはやぶさ号しか走っていません。そのため、この区間のみを利用する旅客のために特定特急券という特殊な特急券を買うことではやぶさ号に乗ることができます。
(特定特急券)
東北新幹線での特定特急券というのは、普通車指定席の空いてる座席を利用できる特急券のことで、実質自由席特急券と同じものになっています。
例外パターン② 仙台〜盛岡間に停車駅があるはやぶさに仙台〜盛岡間内の相互発着で利用する場合
盛岡から東京寄りは自由席を連結したやまびこ号が走っているため、特定特急券は発売されていません。
しかし、仙台〜盛岡間で停車駅がある場合に限って仙台〜盛岡間で自由席特急券ではやぶさ号の空席に乗ることができます。
この制度はあまり広くは知られていませんが、仙台から北側のやまびこ号の本数が少ないことや、乗客数が少ないことの救済措置であると考えられます。
停車駅が多くてもちゃんと時速320kmで走ってくれるので、ちょっと得をした気分になれますし、この区間で指定席券を買ってはやぶさ号に乗るより約700円安く乗ることができます。
ただし、あくまでも全車指定席なので、自分が座っている席にその席の指定席券を持った人が来たら譲らなければなりません。
譲る時の気まずさを感じたくない人は、乗車直前にえきねっとか駅の指定席券売機で空席を探しましょう。
指定席券売機で空席を検索すると下の画像みたいな感じで出てきます。この画像の◯が空席です。これをもとに空席を選んで座れば譲ることなく乗ることができます。
さらに、空席がない場合は座ることができません。確実に座りたい場合は指定席券を買った方が良いでしょう。
18切符旅今昔比較 東海道方面編②(姫路〜終点)
想像以上に長くなってしまったので、前編と後編に分けました。まだ前編をご覧でない方は前編をご覧ください!
※前編はこちら
(https://hihumin123-twal.hatenablog.jp/entry/2019/06/09/204046)
・第6列車 山陽本線1425M
姫路16:01→岡山17:28
姫路に着いたのは15:25だったので、ここでようやく30分程度余裕ができます。
姫路には白鷺城と呼ばれる姫路城があります。中を見学する時間はありませんが、駅前からその雄姿を見るだけでも十分価値があると思います。
(姫路駅前から見た姫路城)
お昼を食べる時間も今までなかったので、姫路で食べましょう。私は食べ物に詳しくないので、駅そばを食べますが、食べ物に詳しい方は名物を調べて食べるといいと思います。
途中の相生から赤穂線が分岐しますが、山陽本線周りのが早く岡山に着くので、そのまま山陽本線に乗ります。
上郡を出て船坂山トンネルを抜けると兵庫県から岡山県に入ります。
東京を出ておよそ12時間、ようやく中国地方に入りました。
ここから夕暮れ時の山陽路を30分ほど走ると終点岡山に着きます。
(姫路〜岡山)
岡山17:40→広島20:27
岡山では12分の乗り換え時間があります。ここで夕飯の調達をするのが賢いでしょう。
岡山からしばらくは帰宅時間帯と重なるので、車内はきっと混雑していることでしょう。夕飯を食べるのは列車の中が空いてからにしましょう。
岡山と広島ってとても近いイメージがあるのですが、実は180km近くあります。これは岡山から大阪の距離とほぼ一緒です。意外な発見ですね!
山陽本線の岡山〜広島には倉敷や尾道のような景色の良い場所がたくさんあります。
(倉敷美観地区)
(尾道)
(尾道〜糸崎の車窓)
しかし、今回は日没後に通過するため、これらの景色を見ることはできません…。もし仮に明るかったとしても、流石に疲れてきた頃だと思うので、この区間は寝てしまっていると考えて割り切ることにします。
(岡山〜広島)
広島20:40→小郡(現 新山口)23:31
広島での13分の乗り換え時間を経て、山陽本線普通列車小郡行きに乗車します。
今回も先程と同様、終点まで3時間近い乗車時間があります。途中岩国と徳山で10分ずつ停車することを考えても長い乗車時間です。山陽本線で鈍行の旅をしていると中国地方の広さを実感することができます。
この区間には、世界遺産の宮島があります。途中の宮島口駅から分岐している宮島行きのフェリーには18切符で乗ることができるので、時間があるときは寄ってみるといいと思います。
(宮島)
この区間は海沿いを走るので日中であれば瀬戸内海の綺麗な海を見ることができます。また、岩国や徳山には石油化学工場があるので、夜でもこれらの工場夜景を楽しむことができます。
そして、広島から約3時間、この列車の終点小郡に到着しました!
この先、日付が変わる前に乗ることができる九州方面の普通列車はありません。
つまり、
1987年では、山口県の小郡が東京から1日中西に行く鈍行に乗り続けた場合に到達することができる最西端
ということになります。
3.まとめ
東京から1日中西に行く鈍行に乗り続けた場合に行ける最も遠い場所は、
1987年:山口県 小郡 (東京から約1030km)
2019年:福岡県 小倉 (東京から約1130km)
ということがわかりました。
2019年の方が100km近く距離が伸びていますが、これはJR化後に名古屋近郊でも速い快速が運行されるようになったことや、そもそも車両性能が向上したことによるものと思われます。
次は東京から北上した場合について同様の空想旅をしてみて現在と比較してみたいと思います。
ではまた。
18切符旅今昔比較 東海道方面編①(東京〜姫路)
今回は、空想鉄道旅を実際にやってみようと思います!
(空想鉄道旅についてはhttps://hihumin123-twal.hatenablog.jp/entry/2019/06/09/182938を参照)
鉄道旅の代表格といえば、18切符の旅なので、「東京からひたすら西に行く鈍行列車に乗り続けた場合、1日でどこまでいけるのか?」
というテーマで1987年の場合と32年経った現在の場合について比較してみようと思います!
1. 現在の場合
現在のことは、乗り換え案内を使えば3秒でわかるので、乗り換え案内で調べました。
現在の今回のテーマの答えは、東京から約1100km離れた福岡県北九州市の小倉駅です!
東京駅を4:55に出発、小倉には翌00:05に到着する約19時間の道のりです。
2. 1987年の場合
まずは、東海道本線の始発列車に乗ります。
品川4:35→沼津6:38
東海道本線の始発列車は東京駅発ではなく、品川発なんですね。品川の少し東京寄りに車両基地があるせいでしょうか。
この列車はグリーン車を連結しているので、沼津までの2時間は快適に過ごせそうですね。
品川から列車に揺られること約2時間、静岡県の沼津に到着です。
(品川〜沼津)
沼津6:44→浜松9:04
ここから浜松まで2時間半ひたすら乗りっぱなしです。途中長く停まる駅はないので、朝ご飯は品川出発前に買う必要がありそうです。
今では静岡はロングシートトイレなしの難所と呼ばれていますが、この時代はまだ115系電車が使われていたはずなので、ボックスシートもトイレもある快適な旅ができます。
東海道本線の静岡区間は、富士山や駿河湾、大井川などの景色の良い区間が続くので、車窓を眺めているとあっという間に浜松に着きます。
(沼津〜浜松)
浜松9:06→米原12:26
浜松で2分の乗り換え時間で東海道本線普通列車米原行きに乗り換えます。
なんと、この列車には3時間20分も乗車します。しかも途中長く停まる駅はないので、ひたすら乗りっぱなしです。
今回は東京からひたすら西に行く鈍行に乗り続けてどこまで行けるか?というテーマなので、名古屋で途中下車したりせず、ひたすら乗り続けます。
正直、豊橋〜名古屋の東海道本線の車窓はつまらない(異論は認める)ので、寝るのが無難です。
名古屋を出ると、清洲会議の清洲や、天下分け目の戦いが行われた関ヶ原など、歴史の教科書で見たことがある地名が出てくるようになるので、昔の天下人達に思いを馳せるなどしていれば退屈せずに過ごせます。
(浜松〜米原)
米原12:28→京都13:38
もう東京から9時間近く休みなく列車に乗り続けていることになるので、常人なら発狂している頃でしょう。
この列車は西明石行きなので、京都で降りなくてもここ米原から150kmほど離れた兵庫県明石市まで乗り換えなしで行くことができます。
しかし、京都で新快速に乗り換えた方が早く西に進めるため、京都で乗り換えます。
現在の東海道本線のこの区間は「琵琶湖線」と呼ばれています。しかし、琵琶湖が見えるのは石山駅付近の一瞬だけで、あとは大津までひたすら田園風景が続きます(笑)
大津を出ると徐々に京都の街並みが見えてきます。
(米原〜京都)
京都13:45→姫路15:25
京都で新快速に乗り換えて一気に兵庫県の姫路まで行きます。
ここで、新快速の今昔について書こうと思います。
新快速も今は米原まで来ますが、国鉄時代は米原の一個京都寄りの彦根発着でした。これは、当時の鉄道管理局の管轄に由来しています。
彦根から先、京都方面は大阪鉄道管理局が管轄していたのに対して、米原駅は名古屋鉄道管理局の管轄でした。新快速は大阪鉄道管理局が独自に運行している列車だったので、大阪鉄道管理局の管轄内である彦根までしか入線しなかったのです。
2. 昔の新快速は京阪間ノンストップだった
現在の新快速は京都〜大阪間で、高槻、新大阪に停車します。しかし、1987年の時刻表を見ると、新快速は京都を出るとなんと次は新大阪まで停まらないことがわかります。京阪間は昔から並行する私鉄とのバトルが激しいため、所要時間を1分でも多く削るために高槻を通過していたと考えられます。
現在では、車両の性能が向上したため、途中高槻に停車しても当時より1分早く京阪間を走り抜けることができます。科学の力ってす(ry
途中の神戸駅を出ると品川からずっと続いてきた東海道本線に別れを告げ、山陽本線に入ります。神戸から明石付近までは海沿いを走るので、オーシャンビューを楽しむことができます。
明石を出ると20分ほどで終点姫路に到着致します。
(京都〜姫路)
(後編に続く)
時刻表の楽しみ方
皆さんお久しぶりです。ひふみんです。
先日部屋を掃除していたら、1987年3月の時刻表と2017年2月の時刻表が出てきました。
(左:1987年3月号 右:2017年2月号)
一般の方は、
「昔の時刻表なんて読んで何になるんだ、昔の情報だし意味がないじゃないか」
と思いますよね。
しかし、オタク的には昔の時刻表は読んでいて大変面白い本なのです。
そこで、今回は、昔の時刻表の楽しみ方について書こうと思います!
その楽しみ方というのは、
「空想鉄道旅」
です。
空想鉄道旅をわかりやすく説明すると、時刻表を見て旅の計画を立てて、実際には旅をしないという感じです!
計画だけ立てるだけなので、お金がかかりません。さらに、昔の時刻表を読めば、昔の鉄道旅もできてしまうという利点もあります。
金のかかる鉄道趣味において、この空想鉄道旅は金のかからない素晴らしい暇つぶしであると言えます。
次の記事で実際に空想鉄道旅の一例を紹介したいと思います!
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18切符旅今昔比較 東海道方面編(https://hihumin123-twal.hatenablog.jp/entry/2019/06/09/204046)
急行はまなす乗車記録〜2015冬札幌旅行記〜
※注 急行はまなす号は2016年3月21日をもって廃止されてしまったので、現在この旅程で旅をすることはできません
青森からは急行はまなすに乗って札幌を目指しました。
急行はまなすについて簡単に説明すると、
・青森と札幌を結ぶ夜行列車
・日本最後の客車定期列車かつ定期急行列車
・座席車以外にもB寝台やカーペットカーを連結してる
・北海道&東日本パスで乗車可能(寝台含む)
みたいな感じです。
今回は、普通の座席車に乗りました。
青森ー札幌で¥1820という安さ!移動手段兼宿泊施設と考えると破格の安さですね。
北海道新幹線開業直前の青函トンネルを含む海峡線の車窓を楽しみたかったので、函館まではロビーカーに乗ることに。
(ロビーカー内装)
ロビーカーで座っていると、地元の大学生の方たちが隣に来たので、その人達と話したり飲んだりしているうちに列車は青函トンネルを抜けて函館に到着しました。(結局車窓は見ていない笑)
函館では、列車の進行方向が変わり、さらに機関車も付け変わります。
函館で機関車を付け替える理由は、
・函館駅は昔、青函連絡船との乗り換え駅だったため、港にせり出すような構造になっている。(札幌方面に直進できない)
・青森から函館までの津軽海峡線は電化されているが、函館から札幌までの函館本線は一部電化されていない区間があるため、電気機関車は走れない。
の2つです。
機関車付け替えを見るために極寒の函館駅のホームに降り立ちました。気温的にはさほど寒くありませんが、函館駅は港に面しているため、海からの冷たい風が吹き付けてくるので、気温以上に寒く感じました。
機関車付け替えが終わると、列車はいよいよ札幌へ向けて走り始めます。
函館からは自分の座席に戻り、寝ることに。…とは言っても座席夜行列車で熟睡できるはずもなく、長万部まで眠れず、東室蘭で目が覚めてしまいました。
眠気と北の大地に降り立つ高揚感を感じていると、列車は終着・札幌に到着しました。